究極の断捨離は「購入して物を増やさないこと」だと、いち早く断捨離ライフを営んでいた友人が口にしていたセリフです。
その友人は雑誌や本は立ち読みして済まし極力買わない、服も必要なものだけ。
節約にも通じることですが、その分お洒落なインテリアや洋服には自身の美意識にかなう物を収集してこだわっていました。
自分も共感する所があり、いつしか雑誌は待たされる歯医者や病院の待合室での購読が定番となっていました。これなら読み終えた雑誌の切り抜きをせずに済みます。
服も思い切り捨てた後は、安易には購入しなくなりました。
部屋も整然とスッキリ気持ち良く。
けれどもそのずっと後に起きたことは、断捨離のリバウンドでした。
断捨離はやりすぎるとリバウンドしがち
断捨離を少々やりすぎてしまい、処分するかどうか迷った物も勢いで捨てており、どうもこのことが後に良くなかったようです。
年を重ねるとともに、少しもったいなく思うようになってきたためです。
欧米の品物は、長く使用できるセンスの良い物が多いです。
最近の日本の製品もデザイン面で向上していますが、素材の品質に関しては昔の国産であった頃の方がずっと良い物が多いです。
書籍に関しては、現在の書店は撤退が相次ぎ人気も少ない店舗が増えましたが、たまに手にして読む本は面白くて心がざわめきます。
ネット上でも検索すれば収取できるくらいの情報があり、本を買うほどではない時もありますが、断捨離をし始めてから読み逃した貴重な本が幾つもあるのではないかと複雑な思いがします。
記憶に鮮明に残っている持っていたはずのいくつかは、迷った物は捨てよう!ということで処分した物でした。
しかし今あればそれはそれでよかったのにという思いが押し寄せてくる時があったことから、物を処分するのは一応よすという、リバウンドの時期が訪れました。
断捨離リバウンドの時期はくだらない物を集めがち
全ての人がそうだと思いませんが、自分の場合、断捨離のリバウンドは、あまり物を購入しなくなった代わりに処分もしなくなるという形で訪れました。
断捨離をしすぎて喪失感を感じたことから、“一応取っておく” 気持ちが芽生えてしまったうえに、喪失感を埋めるべく、くだらないちょっとした物を買い自分を満足させる行為に励んでいることが多くなったのです。
捨てても惜しくない、ちょっとした少しの満足感を繰り返すようになり、いつしかスッキリしていた室内は、雑然としてきて荷物が膨れ上がっていました。
服は素敵か好きかではなく、今必要で実用的なアイテムを優先した物ばかりで夢もありません。
一見くだらない物でも何かの価値を秘めていることがあり、そうしたことに気づけたことは知らないでいる事よりずっと良かったと考えていますが、ふと身の回りを見ましてがっかりしています。
まとめ
断捨離のリバウンドは人それぞれかと思われますが、自分の場合は “迷った物でも一気に捨ててしまう” が原因でした。
「迷うような物は一応とっとくのがベスト」と今は考えています。
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